225 戦記

225先物の データと建玉、相場雑感。

日経の詩歌教養、茨木のり子の怨嗟。 と、五輪で、楽曲抹殺。雑感。


今日、土曜日の日経新聞、歌壇俳壇のページの左端


今週の「詩歌教養」は茨木のり子の4回目である。

 

 

現代詩の「長女」茨木のり子

 

戦争経験が茨木のり子の詩作に大きな影響を与えた…とあるが
敗戦の年に二十歳なのだから、当たり前である

 

 

 

いくつかの、戦争をめぐる思弁とも言えない
幼稚な20代の詩をひいて、30代の名作

 


     「わたしが一番きれいだったとき」 に

 


7段組みコラムの7段目、ラスト9行目で行きついて、、

 

この、4回目の連載を終えている。

 

 

   来週の 5回目が楽しみである。   すごく!

 


 

昭和30年、のり子30歳…


「わたしが一番…」は終戦の夏の描写に満ちているが
書いているのは、それではない。


では、何が書かれているかというと

 

 

 

わたしが一番きれいだった時に
どこにもなかった綺麗な刺繍のブラウス


なぜ、わたしよりヒト回り下で

あの終戦の夏、私と同じ日焼けした茶色い肌で

飢えと渇きで舌を垂らしていた少女(おまえ)たちが

 


10年経って、二十歳になって

 

綺麗な刺繍のブラウスと
生地たっぷりの綺麗な色のスカートで

 

白いみずみずしい腕もあらわに
もう中年になった、私の目の前で、楽しそうに街を行くの?

 

 

私は、もう30歳の所帯持ちで

たった10年前の二十歳に、二度と戻れないのに

 

 

いま私の前を笑いさざめきながら通り過ぎた
あなたたちと同じ


綺麗な刺繍のブラウスも


私の大好きだった、今も大好きな色のスカートも

今あなたが、はいてる、そのスカート

もう、はけないの

 


鮮やかな色の
軽やかに風をはらむ

 

あなたなんかより
10年前の私に、ぜったい!似合ったスカート

 あなたより綺麗な

あの時の私、 私の方が、 絶対に似合った

 

その、綺麗なスカート

 

 


という、一回り下、昭和10年生まれの
綺麗なスカートをはいている
昭和30年の二十歳の、あほガキどもへの

 

怨嗟のうたである

 

 

作中は

昭和20年、十年前の

瓦礫の街の描写がつづく

昭和30年、いまの街を行く

うつくしい娘たちの描写はない

 

 

が、題名の

「わたしが一番きれいだったとき」が

作品モチーフを全て語っている。

 

昭和31年の経済白書は

「もはや戦後ではない」の文言で有名である

 

 

この恨みのうたは
昭和の終わりには

教科書では反戦詩になっていた。

 



なぜ反戦歌?


アプレゲールのあほガキどもが
可愛いカッコで街を颯爽と歩く姿に

 

「死ね!」とおもった

 

戦中派の 中年女がたくさんいて

 

 

嫉妬じゃなくて「公憤」として

 

失われた昭和20年の娘ざかりを
悼む気持ちに、読み替えて

 

同調したからである。

 

 


下劣なココロを

慰めてくれてはじめて


歌は、くちびるから唇へ
歌い継がれてゆく

 

それは

 

私の事実であって

 

想い出であって

 

誰かの口から出た、      私だけの気持ちである。

 

 

 

しかるに


「イジメひどいから、抹殺」


  ?

 

はあ?正気か?

 

ロックやフォークなんて、流行り曲なんて
クズのための音楽なんだよ!

 

いまさら、ナニ言ってんだ!

 


綺麗な口きくな!

 

ビートたけしが若い頃いってた


「腕に自信があればヤクザ、しゃべりが上手ければ芸人」

 


そのとおり…
でなきゃ、なんなんだ?

 

 

 

音楽に人間性なんか関係ない

 

マイルスやバードの顔見てみろ
あんなの雇うか?

 

雇いません。      ほかの従業員が可哀想だろ。

 

 

モーツアルトやベートーベン
あんな顔した連中に仕事頼むか?

 

頼みません!

 


お客様に迷惑かかるだろ!!

 

 

ってコトで、記事

 

よく知らんけど、あの へろへろミュージックだろ?

 

 


抹殺って、、勘弁してやれよー


なー

 

 

 

どんなに下らなくても

あの時のあの歌に

 

あのときの あのブラウスの刺繡、ひるがえるスカートの色ににしか

 

ない

 

なにか

 

 

が、あるんだよ。

 

五輪のスキャンだろともみ消し

予算消化に使てやるなよ     それってヒドいぜー   と思う。

 

どんな歌かは知らんけどね。 そういう問題じゃないよね。

 

 

 

■  記事

 

小山田圭吾、早くも“いばら道” いじめ問題で五輪音楽制作辞任も「世界中に醜聞が拡散」 放送中止や楽曲差し替えがぞくぞく


                          2021/07/24 17:13


 過去のいじめ問題をめぐり、東京五輪開会式の楽曲制作を辞任したミュージシャンの小山田圭吾(52)。しかし騒動は収まりそうにない。さらに不適切な発言が掘り出され、他の番組にも波紋が広がっている。全世界にも知れ渡ることになり、今後の活動には暗雲が立ち込めている。
 ネット上では、小山田の記事が上がるたび、コメント欄に辞任を求める批判であふれた。騒動の当初は、芸能人からも一部で擁護する声が上がったが、猛批判を前にかき消されてしまった。

 

 「陰惨な、しかも障害者へのいじめということもさることながら、分別がつくはずの大人になってから、それを面白おかしく語ったことでアウト。その後、何の謝罪もなく、この期に及んで謝罪したところで、世間は納得しないでしょう。税金が投入される公のイベントに名前を連ねるのが厳しいのは当然」と音楽関係者は手厳しい。

 結果、小山田自ら辞任することで決着をつけた形だが、「五輪の組織委員会も小山田が辞任してくれてホッとしているでしょう。ギリギリまで留任を口にするほど判断の甘い組織ですから、解任なんて判断ができるわけもない」と先の音楽関係者もあきれるばかりだ。

 

 「今回は公のイベントだったので批判が殺到したわけですが、今後の活動にも影を落としたといえるでしょう」と音楽系の出版関係者が話すように、早くもその影響が広がっている。

 別の雑誌でも不適切な発言をしていたことが判明したばかりか、NHKも小山田の楽曲を使用していた『デザインあ』と『JAPANGLE』(ともにEテレ)の放送中止を決定。テレビ東京も、小山田が主題歌を担当するドラマ『サ道 2021』の楽曲差し替えを決定した。

 

 「今までは、いじめの過去を知っていても、小山田の音楽性を受け入れてくれる人たちに守られていたわけですが、これで世間全体に知れ渡ってしまった。いや海外メディアも報じているので世界中にもこの醜聞が広がってしまった。薬物事案と違って、いじめは海外ではもっとも嫌われる類の問題といっていいでしょう。小山田は海外でも高い評価を受けてきたアーティストですが、この件で評価が変わることは間違いない。『作品に罪はない』という考えもありますが、通常の音楽活動自体がかなり厳しくなると言わざるを得ません」と先の音楽関係者。

 

 すでにいばらの道は始まっている。