225 戦記

225先物の データと建玉、相場雑感。

黒川伊保子「不機嫌のトリセツ」いい本です。


黒川伊保子の新刊の紹介記事があった。
私も読んだが、女心についての、分かりやすい、いい本である。

出産で冥界につながるあたり、、振り返って、、なるほどと思う。

 


同氏の著作はこのニ三年でほぼ全て読んでいる

非常に勉強になるが


子育ての苦労に関しては

現代の母親の弟妹育児をしていない「無能」に起因する部分も多いと思う。

 

■ 記事


  子どもを産んだ妻を夫が散々イラつかせる理由 戦闘中の女と平和な男、だから不機嫌に見える


                        黒川 伊保子 2021/05/12 17:00


女は弱し、されど母は強し。昔の人は、そう言った。「弱い女なんてこの世にいるのかしら?」と思える現代だけど、「正直、出産後の妻の変化に傷ついた」という男性は、女たちの想像をはるかに超えて多い。

昨今の新型コロナウイルスの蔓延による外出自粛で一緒にいる時間が急激に増えたために、妻や夫と不和が生じた人も多いのではないか。「コロナ離婚」という言葉も誕生するほど、今、家族間の不機嫌は深刻な問題である。


男女の脳の使い方の違いを30年以上研究し、大人気「トリセツ」シリーズを手がけた黒川伊保子氏の著書『不機嫌のトリセツ』より、「女性の不機嫌」について本書の一部を抜粋、再構成してお届けする。

 

 母は戦士である


 私は、29年前に、一人息子を出産した。

 赤ちゃんを育てる母親は、一瞬たりとも気を抜いていない。新生児の息子の息がほんの一瞬途切れただけでも、私は跳び起きた。

 反射的に上半身をパッと起こした自分を客観視して、私は苦笑したことがある。こりゃ戦士だな、と。ここは戦場のベースキャンプか。それだけ、自分が命がけなのだと悟った。

 出産の前の晩、眠りに落ちる寸前、私は不思議な感覚に襲われた。私の枕のすぐ上に、ばふっと大きな穴が開いたように感じたのだ。遥か遠くにつながるトンネルのような空間が開いた、そんな感じだった。私の息の音や、ふとんが擦すれる音が吸い込まれていく。とてもリアルな感触だった。


 私は、あの世とつながる道だと信じた。子どもの〝仕上げの魂〞がやってくる道だ。そして、私自身もあの世にうんと近いところにいるのだ、と。不思議と怖くなかった。子どもの命と引き換えに、私がこの闇の向こうに行くことさえ、まったく厭わなかった。翌朝早く、私と息子の出産が始まった。

 母になるとはそういうことだ。時満ちるようにして、自然な覚悟がやってくる。命の危険と隣り合わせにいることがちゃんとわかるのに、怯える気持ちなんて一ミリもない。ただただ、子どものことを思うだけ。


 母は、こうして命を投げ出した戦士である。そりゃ、強いわけだよ。

 さて、いきなり命知らずの戦士になった妻たちは、当然のように夫を戦友扱いする。

 おむつを替えていて、赤ちゃんが寝返りを打ったせいで、お尻拭きに手が届かない……!なのに、傍にいる夫が、ぼ〜っとしている。その瞬間、目から火が出るほど腹が立つ。


 恋人気分のときには、「たっくん、とって〜」と声をかけていたのに、甘えて取ってもらうなんて思いつきもしない。そりゃ、そうでしょう、「私がヘリコプターのエンジンかけるから、たっくん、ドア閉めて〜、ちゅっ」なんていう戦闘チームがいる?

 妻は、自分が「戦闘任務遂行中」の脳になっていることに気づいていないから、夫が急に、無自覚の役立たずになったような気がして、絶望する。


 夫にしてみたら、青天の霹靂である。ひどいショックを受けもする。出産に伴うホルモン変化でまろやかな身体になって、いっそう優しそうに見える妻が、赤ちゃんには聖母のような笑顔を見せるのに、自分には鬼のような形相を見せるのだから(もちろん個人差はある)。

 

夫は、でかい、うるさい、手がかかる。


 妻の脳は、その認識のレンジ(目盛)を赤ちゃんに合わせている。赤ちゃんの小さな身体、なめらかな肌を一日中凝視しているので、夕方帰宅した夫の顔を見て「でかっ」「脂っぽいっ」とびっくりしたりする。また、一日中、繊細なしぐさで赤ちゃんに接しているので、夫の歩く音がとてつもなくうるさく、ものをつかむしぐさがガサツに感じる。テレビでテロ事件の破壊映像が流れたりすると、強い衝撃を受けて、涙が止まらなくなることもある。

 
 夫や世界が、急に暴力的になったわけじゃない。これもまた、妻側の脳の変化なのである。しかし、本人には自覚がないから、夫が急に無神経になったような気がして、絶望する。

 

 そして、母性である。

 

 母性とは、子どもを無事に育て上げるための本能。当然、母の脳は、子どもに自らの資源(時間、意識、労力)のすべてを捧げようとするのだ。

 新婚時代、その多くを夫に捧げてきたのに、それがすべて子どもに振り分けられる。

 
 それだけではない。夫の資源もすべて、自分たちに捧げてほしいと欲する。それがキッパリとできることこそが、輝かしい母性なのである。

 よく「うちの夫は長男のようなもの。その長男が、一番手がかかる」という奥様がいるのだけど、はたで見ていると、実際は夫にかける資源は子どもの10分の1。それでも脳は「あげすぎ」だと思い込んでいる。

 世界中の妻たちの脳に、これらの変化が多かれ少なかれ起こっている。そんな妻の傍に、恋人時代と脳のモードがなんら変わらない夫が、無邪気にのほほんと寝そべっているのだ。映画「ランボー」の戦闘ワールドに、映画「ラ・ラ・ランド」のジャズ・ピアニストが迷い込んでしまったようなもの。私にしてみたら、危なっかしくて見てられない。

 

母性本能は子どもに優しく夫に厳しい


 妊娠して出産すれば、恋の相手は、資源を提供すべき者に変わる。子どもを無事に育て上げるためには、搾取すべき相手からは徹底して搾取する、という戦略を取ったほうが、子どもの生存可能性が上がるからだ。というわけで、子を持った妻は、夫の労力、意識(気持ち)、時間、お金のすべてを速やかに提供してほしいという本能に駆られる。子どもには徹底して優しいが、夫には厳しい。これこそが、真の母性本能である。

 夫に、目から火が出るほど腹が立つのは、母性のせいだ。男が変わったわけじゃない。多くの場合、女の脳のほうが、男に対する見方を変えているのである。

 

 夫婦の危機はまだまだ続く。

 

 やがて、子どもが自分の足で歩くようになると、脳は、「次の生殖相手」を探す気満々になる。よりよい遺伝子を求めて、脳はあくなき人生の旅をしている。

 直近の繁殖相手よりいい遺伝子を、脳は求めてしまう。より免疫力の高い個体を。なぜなら、それこそがシステム論上、最も有効な繁殖手段だからだ。

 最初の結婚を貫けないことも、婚外の恋愛をすることも、脳の機能性から言えば、いたしかたない。「生涯、一人の伴侶と添い遂げる」なんて、脳科学上、かなり無理があるのだもの。


 でもね、だからこそ、これを乗り越えて、一つのつがいを守り抜くことこそが、人間性の証なのかもしれない。そして、本能に打ち勝って、夫の傍にいる妻のなんと多いことか。多少機嫌が悪くても、許してあげてもいいのでは?

 


ウチの母親は4人兄弟の下から二番目の次女なので
妹一人しか育てていないが

8歳の時には妹を負ぶって道路でゴム飛びをして遊んでいたそうだ。


昔の親はゼロ歳児を走り回って遊ぶ小学生の背中に括りつけて平気だったわけで、、
それはそれで、凄いなと思うというか、

…いそがしかったんだろうなー

 

小学生にもなれば子守だけではなく当然に家に帰れば
さまざまな家事が待っていることだろう。


そういえば母親の思い出話は
「アカギレで血がにじんで手が痛かった」
系列ばかりだった


いい思い出…

年に一度、祭りの小遣い10銭と
年に一度、大・野良仕事の後の御褒美パン  …くらいかな?

 

むかし読んだ職人話


ふつう七つ八つで住み込み徒弟になるところが
十五六にもなって親方に弟子入りする者もあって
「中年者」と呼ばれていたそうである。


8歳までに職について
ひがな追いまくられて仕事をするから
十七八で一人前、二十五六にもなればもう親方である。


中年者はそういうサイクルからはずれて
いつまでたっても一人前にならなかったそうである。

普通の職人が何も考えずスッと動けるように、、ならなかったらしい。

 


我々は、永遠に「半人前」のままの


「生活者」で「職業人」であるようにも、思うのである。